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肝虫の20代後半〜社会人時代編

肝虫の20代前半〜学生時代編より、続き。

25歳

2月1日付けでいよいよ社会人に。
21歳くらいの頃は自分が社会人になれている姿なんて
想像もできていませんでした。

職場のA´ワーク創造館は大人向けの教育機関で、
ワード・エクセルなどのパソコン講座や
HP、グラフィックデザイン、CAD、経理などの
幅広い講座を実施していました。
その他にもニート、ひきこもり状態の若者の就労支援や
NPOの立ち上げ支援なんかもあって、
このあたりはかなり関心の高い分野だったので、
よくもこんな自分の関心のストライクゾーン
ど真ん中のところに入れたな、と今でも思います。
まぁでも、今だからそう思うわけで、
「自分のやりたいことって何だ!」って時期には
これを提示されてもきっとピンときてなかったと思います。

そんなわけで1年目はよくわからないまま、
与えてもらった仕事を色々こなす。

からほりまちアートのスタッフは2年目に入り、
渡辺さんと一緒に副実行委員長になることに。

26歳

自分が職場で企画した初講座は、
大学生を対象にした「NPOという働き方も面白い!」
というものでした。夏。
講師に宝塚NPOセンターの森さん(当日は病気で別の方に)、
森ノ宮青少年会館の当時の館長だった松崎さん、
NPO法人みらいずの桝谷さんという
改めて思うと豪華な顔ぶれ。
その割りに集客はボロボロしたけど。
個人的には面白かったんですけどねー

この頃から、主にNPO関係の講座と
若者就労支援の講座を
色々企画していくように。

そして9月に引越し。
7年住んだ四天王寺から、空堀へ。
からほりまちアートの打合せの時に、
たまたま空き家になっているのを見つけて、
興味本位で家賃を尋ねたら、
とんとん拍子で勝手に(!)話が進み、
その数日後に、見に行ってた。
そしたら2畳の変な部屋があって
無性に気になってしょうがなかったことと、
縁で繋がった家だから、
悪いことはないだろう、という変な確信で
お金もないのに、このタイミングしかない!と思い
親にお金を借りて勢いだけで引っ越す。

昔の日記を見たら
「2畳研究会」っていうのを立ち上げてた記録が。
色々アイデアがあったらしい。
結構忘れてる(笑)

そして引越しには色んな人が手伝ってくれたのと、
僕の段取りの悪さでだいぶ迷惑をかけてしまいました。
ありがとうございました。

そして秋には副実行委員長として初めての
からほりまちアート
今年の大きな企画は
「からほりナイトクルージング」という中夜祭。
お寺で色んなイベントをしたことと、
こどもの作った灯ろうの展示。
これはやってすごくよかったけど、
内部は大変なことになっていた。
またしても自分の段取りの悪さで、人に迷惑を。
書きながら情けなくなってきた・・・
許して付き合ってくれてるみなさん、本当にありがとうございます。

この頃、本屋でたまたまシブヤ大学の本を発見。
衝撃を受ける。
この本をきっかけに「2畳大学」の名前ができ、
構想がかなり具体的になり始める。
シブヤ大学を大阪でやりたい・・・
でもこれをこのまま大阪でやってもうまくいくわけないし、
「大阪らしさ」を足さないといけない・・・
ということで考え抜いた末に思いついた「大阪らしさ」が、
「探偵ナイトスクープ!!」
ということで、2畳大学は
「シブヤ大学」+「探偵ナイトスクープ」÷2という構図なんです。
ちょっとした、人によってはどうでもいい疑問や関心ごとを
徹底して追及するという、この姿勢は大阪人のDNA。
それをシブヤ大学と言うスタイルに当てはめました。
この頃から、色んな人に具体的に相談するように。

あとこの頃からファシリテーションに関心を持ち始める。
自分でワークショップをしたり、
司会をしたりすることが増えてきて、
中野さんの本を読んだりし始める。
そんな中、空庭さんに紹介されて、
コミュニティファシリテーション研究所
ノリさんの講座に初めて参加。
今まで考えたこともない視点がどんどん出てきて、
しかも納得のできるものばかりで
かなりの衝撃を受ける。

この後、年度末の事業報告に忙殺された後、
5月の末に四天王寺の骨董市で
「これしかない!」というサイズのちゃぶ台に出会う。
即購入。

そしてこれを機に、2畳大学が開校。
6月にオープンキャンパスを実施しました。
ロゴはSINGLESの運営メンバーでもあった小嶋さんが
デザインしてくれました。
これがとても好評。

27歳

20歳くらいのころは
「俺は27歳で死ぬんだ」って愚かなことを思ってたけど
やっぱ死んでませんね(笑)
「27歳」をテーマに、SINGLESでマスターやりました。
でも当時はちょっとだけ、
あと1年生きれるかな、とかまだ思ってました(笑)

2畳大学の動きも活発になり始め、
伝説のカレー学科が始動。

あとこの頃から、「○○の話をしてください」
というお話をいただくことがちらほらと。
からほりまちアートの事例紹介だったり、
2畳大学の発表だったり。
ちょっとずつ前で話すのに慣れてくる。

からほりまちアートも、
運営スタッフになって3年目。
スタッフも増えて、
実働よりも組織の運営の方に比重が増えるとともに、
こういった非営利組織の運営に関心も出てくる。

1月には初めての「自分の仕事を考える3日間」に参加。
この時に聞いた言葉が、結構ずっと残ってる。
1つは「閃」という感じの成り立ちの話。
「門」の中の「人」は鍵で、
何か閃くときは、
元々自分の頭の中に色々あるものが、
(頭の普段閉まっている)門が開いて、それらが出てきて「閃く」。
自分の中にないものは絶対出てこない。
その時に、人が鍵になって門が開くんじゃないか。
だから「門」の中に「人」なのかも。
これは正確な由来ではなく、ある人の推測。
だけど、納得できる内容。
これが嘘か本当かなんて、別にどっちだっていい。

もう1つは、何かを創るときは60%を目指す、
っていう雑誌編集者の方の話。
100%を目指すと、どれだけ頑張っても100%にしかならず
自分のイメージの範囲を超えないけど、
60%にして、40%の余白を残せば、
予想外のことが起こったりする余地ができて
200%になる可能性が出てくる。
っていう話。
こういうプロセスは無自覚にやってたところがあるけど、
改めて「なるほど!」と思った。

仕事では、この仕事の喜びをどんどん感じ始める。
なかなか仕事の決まらなかった人の、
仕事が決まったところに立ち会ったり、
0が1になった瞬間を見たり、
「こうなりたい」とひたむきになっている目を見たり。
そんな瞬間に立ち会える仕事ってすごい!
と、ますます仕事にのめりこんでいきました。

この頃から、コミュニティファシリテーション研究所
ノリさんの講座を大阪で企画し始める。
待っててもなかなか大阪に来てくれないので、
それなら呼んじゃえ、ということで
オーガナイズをはじめる。

3月には2畳大学の合宿。
面識のないメンバーで集まって、
それから何をするかを決める、という不思議な合宿。
でもこれがめちゃくちゃ面白かった。
さっきの「60%で企画したら200%になった」という実例。
でも、この経験は言葉で説明できない・・・

東京に行った時にたまたま入った古本屋で、
後藤繁雄さんの「僕たちは編集しながら生きている」という本に出会う。
一度スルーしながら、
やっぱり気になって手にとって、思わず購入。
僕は昔からものを創ったり、デザインしたりが好きだったんですが
自分は1からものを作り出すのはやっぱり向いてない、
という挫折を何度か経験しました。
でも、目の前にあるものを使って何かを創るのには
結構得意だったし、
逆に「自分にはこれしかない」
と思えるようになりました。
編集者っていうのは、僕のアイデンティティの1つです。
そういうところに、
そのアイデンティティの背中をそっと押してくれるような
そんな本でした。
僕にとってとても大切な本です。
ちなみに妻は全く逆。
そこがうらやましくもあり、悔しくもあり。
そういう意味で、自分にないものをもっているので
尊敬しています。

3月いっぱいで勤めていた財団法人が解散に。
でも新しい組織ができ、そちらに転籍。
でも仕事は一緒なので、特別変化はなし。
ありがたいことに。

4月からワークショップデザイナー育成プログラム
大阪の1期生に。
青山学院大学と大阪大学の共同事業。
内容うんぬんよりも、
ここでも大切な仲間ができた。
それがありがたい。

この頃から、職場で「NPO若手飲み会」が始まる。
2ヶ月に1回、NPOなどの組織の代表や事務局長などの
事業をメインで回している20〜30代の職員で
ジャンルを問わずに集まって
意見交換したり、ネットワーク作りをしたり、
という主旨の飲み会をスタートしました。
福祉、教育、まちづくり、アートなどなどジャンルレスに集まって
とても楽しかったので、
これを機に2ヶ月に1回のペースで継続中。

この頃、SINGLESの4期終了に伴って
運営メンバーも終了。
お店の運営は5期のメンバーへと。

28歳

やっぱり27歳では死ななかった。

ワークショップデザイナー育成プログラム修了。
授業の内容自体は自分にとって物足りなかったけど、
このタイミングでこういう授業を受けれたことは
自分の中の曖昧だった「ワークショップ」を
整理することに繋がって、非常によかった。
そして何より、多くの仲間に出会えた。
随分自分を拡張させてもらえた、と思っています。

10月に結婚。
家の近くの高津神社にて。

11月には友人向けの結婚パーティー「2畳祭」

これまで色々振り返ってきましたが
やっぱり自分で状況を打破してきたことなんて
ほとんどなくて、
誰かに助けてもらいっぱなしの人生なので、
祝ってもらうよりも、
結婚ができてしまいました!って恩返しの会をしたくて
「結婚パーティー」ではなく、
「2畳祭」という文化祭を開催することに。
周りに色んなスキルをもった人がいるので、
その人たちを紹介できて、
そこでまた新しいつながりができれば、
という想いのもと、
やっぱり段取りが悪くて色んな人に迷惑をかける(苦笑)
ほんとうにすみません・・・
でも100人くらいが集まってくれて
たくさんの人に協力してもらえて、
とても楽しい文化祭(結婚パーティー)になりました。
この日「あ、もう死んでも悔いがないわ」と
心から思いました。

結婚式、からほりまちアート、結婚パーティーと
大イベント3つが終わり、
しばらく廃人のようになり、年が明ける。

ゆらゆら帝国が解散。
1番好きだったバンド。
青春が終わった。

空庭さんからシェアオフィス始める、とのお誘いがあり
それに乗っからせてもらって
セカンドオフィス開設の準備に入る。
こんな変な誘いに集まってくれた方が10数名に。
集まって色々話しながら進めていきました。
そして5月に「オフィス2.0」として開設。
とりあえず、どうなるかわからんけど
1年やってみるというのを目標にスタート。
メンバーはWebデザイナー、プログラマー、役者、
パフォーマー、美術の先生など様々。
そんな職種の違うメンバーで、
それぞれが自分の仕事を確立させるべく、
色んな実験中です。

妻のお父さんに、ギターをいただく。
GibsonのSG。
ゆらゆら帝国の坂本さんも使ってる、あのギター。
世界で一番好きなギター。

職場では「社会的事業マネジメント科」という
職業訓練が始まる。
自分のこれまで仕事で培ってきた経験やネットワークを
総動員させて組み立てたクラス。
すごく個性的で面白いメンバーで
6ヶ月間のトレーニング(お互いに、笑)の幕開け。

からほりまちアートでは、
今年から説明会の代わりに、
からほりを知ってもらうためのワークショップをしよう、
ということで様々な企画をする。
改めて自分の住んでいるまちのことをよく考えるようになる。
そういえば、引っ越す前は「リノベーション」なんて言葉が
頭をよぎったりしていたんですが、
結構早い段階から見た目はどうでもよくなる。
そもそも、この年代よりも
建物の見た目に関して言えば6〜70年代の方が好きだ(笑)
空堀に住み始めて、
見た目のことよりも、まちのコミュニティのことが面白かった。
家の前を掃除する、なんて文化は自分にはなかったし、
(マンションは共益費を払っていて業者が掃除していた)
回覧板が周ってきたことにも感動したし、
雨が降ってくると近所の人が「洗濯物入れや〜」と教えてくれたり、
それ以外にも、この距離感から生まれるコミュニティの感じは、
なんだかとても新鮮で、居心地がよかった。
それがこのまちの楽しさだった。
でもやはりマンションは乱立するし、
高齢化している商店街も、体調を悪くして閉める店もちらほら。
跡継ぎは勿論いない。
自分はこのまちに住み続けたい。
だったら、自分が住みやすいまちにするための1票を
何かしら入れていないとダメなんじゃないかと思った。
それはどんな1票でもいいと思うんだけど。
でも0か1かは、大きく違う。
第10回のからほりまちアートには、
「住人」という目線での参加だったので、
面白いこともあったし、違和感もあった。

29歳

このあたりから月1回くらいのペースで
僕自身への仕事が入り始める。
高校での就職講話や、
からほりまちアート、2畳大学の事例紹介、
NPOについての授業、
ワークショップの授業などなどの講師系から
他にもイベントのディレクションなど、幅も広がる。
自分でもノリさんのファシリテーション講座を企画したりと
そっちも板についてくる。

第10回からほりまちアートが開催。
そして、からほりまちアートの歴史に幕が。
名残惜しい気持ちも勿論あるけど、
新しいことが始まりそうな予感もあって、
複雑な心境。
最後だったけど、仕事が忙しくなってきて
あまり動けなかったのが正直なところ。
それは悔しさが残っています。

職場では半年間の社会的事業マネジメント科が修了。
チューター的な立場だったけど、
この半年間にすごく鍛えてもらった気がします。
最後には事業計画の完成に向けて
かなりの数の個別相談をやった。
その中で思ったのは、
結構カウンセリングって向いてるんじゃないか、と。
話をしながらモヤモヤしたものの
輪郭を一緒に書いていくような作業がとても楽しかったし、
実際に手ごたえもあった。

シェアオフィスの「オフィス2.0」も軌道に乗り始め、
11月には文化祭を開催。
みんなの企画を1つにまとめて、「文化祭」としてパッケージ。
全部集まると、なかなか面白い企画になった。

12月には、2畳大学で絵本づくりのワークショップを実施。
講師はたあつこ=かおりさん。
これがまた、いいワークショップだった。
中身に関してはたあつこさんのおかげなんだけど、
このワークショップの企画から実施までのプロセスが、
自分にとって大きな自信になった。
カウンセリング、プログラム企画、交流の場(サロン)、
この3つがこれからの自分にとって大きな柱になりそう、
という予感、というよりは手ごたえを得る。

こういう3つの柱を軸にした屋号が欲しくなってきたことと、
自分の中で商売っ気が出てきていることに気がつく。
今やっていることを
「自分の仕事」として確立させていきたい、
そんなことを明確に思うようになりました。

そして年が明けて2011年。
新しいプロジェクト「ナローワーク」を発足。
これは屋号に近い感覚。
まだ全部をカバーできていないけど、
基本的には、自分のスタンスとしては
「王道ではない狭い(narrow)道」としての
就職や仕事づくりをしたい人の応援をしていきたい(自分含め)
そんなスタンスでいろいろやっていこう、
そんなふうに決意しました。

そしてもうすぐ30歳。
こうして振り返ってみると、
20代の前半は無計画に、思うまま色々やってましたね。
でも確実にその20代前半になってたことが下地になってて
今の20代後半の仕事やその他のいろいろの動きは
その下地の上になった実のようなもので、
おそらくこれからこの実をどう使っていくか、
というのが待っているんでしょうか。
誰かにあげたり、売ったり、増やしたり。
そんな30代になるんだろうなぁと思っています。

今が人生で一番面白いです。
ここまで育ててくれて、本当にありがとうございます。

暖かく見守ってくれた親と妻には
頭があがりません。
ありがとう。

辛いときに支えてくれたみなさん、
色々迷惑かけられたこともあったと思いますが、
ありがとうございました。

そして最後まで読んでくださった方、
ありがとうございました。

 
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