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肝虫の退屈日誌 - 日本語

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日本語

今日はからほりまちアートの活動の一環で
商店街の方と色々お話ししました。
そんな中で思ったこと。



「○○の方でよろしかったでしょうか」

「方てどっちや!」
「なんで過去形やねん!」


と鬼の首を取ったように批判する人が苦手です。

「本来の日本語じゃない」
って言うけど「本来の日本語」って??

結果としてそれで意味が通じるのならば
それは「日本語」以外の何物でもないと思うし、
それが言葉の文化だと思う。
そんなこと言う人には
「じゃあ平安時代の言葉使えるのか??」
と問いたい。
というのは極端ですか??(笑)

勿論そうやって比較して
変化を自覚することは大事だと思うけど。


前からこんなふうに思っていたんだけど
商店街の方と話していてとても共感したので
書いてみました。

その人も同じようなこと言っていて、

「ら抜き言葉は私らにはわからんけど、それでいいんや。
言葉なんて100年ごとぐらいに変化してて
平安時代の言葉なんてもう読めない。
文化は若い人が作っていくもので、
私たちがどうこういうものじゃない。」

みなさんはどうですか??

最近は世代間の意識の差や考え方の差、その変化の過程なんかに
とても興味があります。
大学の学科の後輩(俺より先に卒業したけど、笑)が
卒論で「世代論」について書いてたけど
教官が奇跡的に無能だったためにだいぶ苦労してた。
あれはもっと突き詰めて欲しい気がするなぁ。
かなり面白い内容だったんだけど。
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